私のチャレンジ日記

脳出血の後遺症で少し障害がありますが、色々とチャレンジしていきたいです。

私が経験した『病』〜「大腿骨頭壊死」と「子宮粘膜下筋腫」〜

前回のブログでは、私の『平成』は、一言でいうなら『病』だったと書きました。
そして、罹患した『血液の病気』や『婦人病』の事を書きました。
病気のことを書き綴るのは、正直、はばかられますが、私自身の気持の整理をしたいのと、同じような病を持つ方々のご参考になればと思います。
また、私のような病のオンパレードな人生であったとしても、いつかきっと穏やかな日を迎える事ができるという希望を強く持ってほしいという思いで書いています。


私の「粘膜下筋腫」は、核出術(膣式)によって、毎月の生理出血がずいぶん楽になりました。
そして、次にやってきたのが、「大腿骨頭壊死」という整形の病気でした…
これは、血液の病気の治療で、ステロイドを多量に点滴する「パルス療法」の副作用として、患ってしまいました。
股関節の大腿骨の骨頭(丸い球体)に血液が届かなくなり、そこが壊死してしまう病気です。
初めは「妙に股関節が痛いな」程度に思っていたのですが、思いのほか痛みが続くので「もしやステロイドの副作用かもしれない」と不安がよぎり、すぐに整形を受診しました。
ステロイドの副作用項目に「大腿骨頭壊死」がある事を知っていたので、すぐに対処できたと思います。
股関節に詳しい医師に、私のMRI画像の診断をしてもらったのですが、私は「どうせまた、手術と言われるだろうな…」と半ば覚悟をしていたのですが、意外にもその医師から「この程度なら、手術しなくても大丈夫」と言われ、とっても嬉しかった事を覚えています。
股関節に詳しいとあって、私のMRI画像を見るというより読むと言う感じて、一片づつの画像を小さく頷きながら熟読していた姿が印象的でした。
その医師から、手術はしなくてもいいから、股関節をかばう生活をするよう指導を受けました。
股関節は、体重の負荷が相当かかる部位なので、それを軽減する為に約3年ぐらい松葉づえを使って生活していました。(2000年頃 平成12年ぐらい、35才)
現在は、まったく痛まないので整形には受診していませんが、自分がかつて「大腿骨頭壊死」だった事を忘れているぐらい、今では遠い過去になっています。


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その間にも、卵巣部分が「子宮内膜症」になり、生理出血や腹痛で苦しみました。
「子宮内膜症」は、生理の度にQOL(生活の質)を下げるので、卵巣を摘出する手術が望ましいようでしたが、私には止血の問題があるので、婦人科医も二の足を踏んでいました。
そこで、生理を止めるために、「リュープリン」という注射を月に一度、受けることになりました。
生理を止めるという事は、根本的な治療ではなく、だた結果を先延ばしにするだけの「対症療法」にほかなりませんでした。
使用限度は6ヶ月なのですが、私の場合は、4年も続けることになってしまいました。
婦人科医師も「こんな最長は経験ない」と言われましたが、「リュープリン」をやめることは、生理が再開することなので、体に悪いとわかっていながら、生理のない日々の快適さを知ってしまった私は、月一の注射をやめる勇気がありませんでした。
そして、ある時、婦人科医師とその事で話し合い、ずっと先延ばしにしていた結論を出す時が来たと、思い切って「リュープリン」をやめてみることになりました。
すると、予想通り、翌月から生理がきて、また出血が多量で貧血を起こし、入院する事になりました。
そして、検査の結果、「卵巣の子宮内膜症」の他に、また子宮内に「粘膜下筋腫」ができていたのです…
なので、また粘膜下筋腫の核出術(膣式)を受けることになったのです。
それが、10年前の2008年、平成20年、43才の時でした。
この時がちょうどクリスマスの頃で、病棟詰所にもクリスマスツリーが飾られ、学生さんによる聖歌隊がクリスマスソングを歌い、元気な患者さんは、廊下に出て観覧していました。
私は術後だったために部屋から出られず、その様子を主人が撮ってくれた写真を見ながら、廊下に響く歌声を少し厳かな気分で聞いていました。
そして翌朝、私の机には、クリスマスカードが置かれていました。
それは、入院患者全員にも贈られ、カードには病棟の医師や看護婦さん達の寄せ書きのメッセージが書かれていて、その心遣いにハートが温かくなりました。
そして、退院後、卵巣の子宮内膜症の症状を緩和するために、低用量ピル「ルナベル」を使う事になり、5年ぐらい服用することになったのです。
長くなりました。続きは、また後日書いてみたいと思います。