私のチャレンジ日記

脳出血の後遺症で少し障害がありますが、色々とチャレンジしていきたいです。

私の経験した『病』〜リハビリ、そして今〜

前回は、婦人科を退院し、次は血液内科に再入院してから「脳出血したこと」を書きました。
12月に脳出血したので、再びクリスマスを院内で迎える事になったのですが、いつも良くして下さった看護婦さんが「トナカイ」の被り物を頭にし、病棟医師がサンタの格好をして、各部屋を訪問し、とても和やかなムードに包まれました。(お二人共、とても可愛いかったです(笑)
そして、この科からも「クリスマスカード」をプレゼントしてもらいました。
病院で、お正月を迎えるのは初めてだったのですが、入院した8月から普通の食事をしたことがないので、病院のお正月メニューは知らないのです。
話しによると、簡単な「おせち料理」が出るらしいのですが。
当時の私は流動食ばかりで、しかも誤嚥の恐れがあるからと、飲み物は全て「とろみ」をつけて飲んでいました。

明けて2014年の1月半ば頃から、本格的にリハビリルームで、歩くなどの「運動」をメインとした「理学療法」が20分と、手を使うなどの「作業」をメインにした「作業療法」が20分という、2人の生生によるリハビリが始まりました。

「理学療法」は、最初は、ヨロヨロしながら、5m?ぐらいの平行棒のバーに掴まりながら、その間を歩くのが精一杯でしたが、最後にはリハビリルームを歩行器で一周できるぐらいになりました。
そして「作業療法」は、主に字を書く練習をしたのですが、「この字は誰が書いたの?」と思うぐらい「自分の字」とかけ離れていました。
誰でも、何気なく「字を書く」という行為をしていると思うのですが、この行為は、とても精巧な技術だとしみじみ感じました。私は微妙に手が震えるので、うまく書けず、そして力が入らなくて、手首に重りを巻いて字を書く練習をしていました。
私は、入院してから全く普通の食事をしていなかったですし、また腸閉塞で絶飲食だったこともあり、寝ていた状態が長かったために筋力・体力がなくて、普通の人より回復が遅かったと思います。

来る日も来る日も「理学・作業療法」を続け、 約3ヶ月後、ようやく退院の兆しが見えて来るほど回復していったのです。

「作業療法」が最後の日、キッチン(リハビリルームの)で、私が入院前に自宅で作ったメニューは?と聞かれ、「トマトスパゲッティ」と答えると「それを作ってみましょう」とリハビリ先生に言われました。
初めて握る包丁は、こわごわでしたが、「これは右手でもいける」と実感しました。(今もナイフ類は右手です)
学生さんと一緒に作ったのですが、「これで一食助かりました」と言われ、「若者らしくて正直でいいな〜」と微笑ましかったです。

そして、書き忘れていましたが(笑)、血小板の数値は1万~2万ぐらいをウロウロしていて、2月半ば頃からロミプレート注射を打つことになりました。
それ以外は、特に血液に関してはもうすることがなく、後は「神のみぞ知る」という感じでした。
ですので、年明けからは「リハビリ」がメインになって、体力がそろそろついてきた3月末頃、病棟医師に「4月初めに病院を辞めるので、一緒に卒業しましょう」と言われ、ようやく私も退院となったのでした。


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退院してからは、大学病院には、定期検診で通院していますが、入院は一度もしていません。
また、注射には、週一で地元の医師が立ち寄ってくれますし、リハビリも少し受けています。
まだ一人では外出はできないですが、家事は殆どできるようになりました。

このように、今の自分があるのは、たくさんの人が支えてくれた賜です。
私一人では、とてもここまで来れなかった…

長々と病気の事を書いて来ましたが、こう振り返ると私の「平成」は、病の集結のようだったと思います。
そして、2013年(平成25年)が総決算だったような気がします…

私は20代から次々に病気に見舞われて、一見「若くしながら不幸」という見方もあると思いますが、「若い時に経験したから、これからはその学びを活かすことができる」という考えもできます。
今だから、そんな事も言えるかもしれませんが、若かかりし日は、そんな風に思う事はできなかったですね…
特に私の若い時代は、「無難な人生」とか「安泰」とかが「幸せ」とう風潮でしたから。
でも、時代はドンドン変わって来ているので、何もしない「無難」や「安泰」よりも、少し「冒険」をして自分で掴みとる「幸せ」の方がいいような気がします。

もう亡くなられましたが、美空ひばりの歌で「川の流れのように」という唄があるのですが、ホントに、私の人生も「川の流れみたい」と思う時があるのです。
病気の時は、川の「上流」にいて、岩にぶつかりながら、必死でボートが転覆しないように進んでいるというイメージだったのですが、今は、川の「下流」を静かに進んでいるというイメージがします。
「人生は抗いようがない流れ」があるのだと思いますが、時にはその流れに乗っていくとも必要なのかもしれません…
それが自分に必要な学びだと思うからです。

長々と、「私の平成は『病』だった」ことを書き綴り、ここまで読んでくださった方々にお礼申し上げます。
本当にありがとうございました。


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次の新しい元号は、『幸』いっぱい!となるようしたいです♪